WASABIな暮らし便り

篤姫も泊まった矢掛本陣

先日、山陽道の宿場町だった矢掛町を訪れた際に、久しぶりに矢掛本陣石井家(重要文化財)を見てきました。
江戸時代に参勤交代で江戸と行き来する大名行列が宿場町に泊まる際に、お殿様が泊まるのが本陣です。
家来たちは、宿場町の他の宿に分宿することになります。
石井家には、鹿児島から将軍家に輿入れする際に篤姫も泊まったのだとか。

母屋の入り口とは別に、本陣に到着したお殿様は専用の「御成門」から入ります。

門を入ると、気持ちの良い前庭が広がります。まずはこちらで一服されるのでしょうか。

そして、こちらの縁側から上がられて座敷へ入られます。

続き間を通って、奥の間へ向かわれます。大きな坪庭がきれいですね。

こちらが、お殿様が宿泊される「御上段の間」。篤姫もお泊まりになったのでしょう。床の間と違い棚があって、お殿様が引き立つように設えが工夫してあります。

お庭に面して縁側があって、お庭を見ながらくつろぐこともできます。やっぱり縁側は気持ちいいですね。

こちらは、母屋から前庭を見た景色。伝統的な空間は陰影がきれいですね。

つくばいの水に映る空もきれいです。

母屋の入り口を入ると土間と店の間が広がります。本陣だけでなく、酒屋や醤油屋を営んでいる商家なので、商売のスペースも大事です。昔は造り酒屋が地域で一番の事業家で町の代表的な存在なので、お殿様を泊める本陣の役割も引き受けていたんですね。

土間の奥には台所も。かまどや木製の流しもあります。

かまどの上には、煙出しの天窓が。台所の明かり取りにもなっているんですね。

台所の外には、漬け物部屋、塩部屋、薪屋など必要なスペースが。

もちろん井戸もあります。水道はない時代ですからね。

母屋の奥には酒蔵など生産のためのスペースが広がります。奥にとても深いので驚きました。

酒蔵はとても大きくて驚きます。昔はどこの町にも大きな造り酒屋があったものです。 今でいう、大企業の工場ですね。

そして、裏を流れる小田川に向かって作業場があります。今でいう出荷ヤードでしょうか。

そして川に向かって大きな長屋門。今は自動車が交通の主流になったので忘れがちですが、太古から戦前までは、自動車がなかったので、船運が交通の主流だったんですよね。できたお酒や出荷する米は、ここから川船に積まれて出荷されました。今は河原が一部埋め立てられて、幹線道路が通っています。時代の変化ですね。

生産設備から、お店、本陣の宿泊施設まで、多様な役割をこなした、町の財閥のような存在だったんですね。そんなことも考えながら見学すると、少し視野が広がって面白いですよ。

インターネットが登場して時代は変わっていくので、いまの大企業や工場も、役割が終わったらこういう産業遺産としての文化財になる時代が来るのでしょうか?