WASABIな暮らし便り

桜の残る鶴山公園を訪れました

4月11日に用事で津山を訪れた際に、全国桜名所100選に選ばれた鶴山公園(津山城跡)を訪れてみました。
もう桜はほとんど散っていましたが、桜の見事さは感じられました。

もう桜は9割方散っていましたが、まだ津山さくらまつりは開催中。事前に予定を組むので、なかなか開花の時期と合わせるのが難しそうです。

でも、遅咲きの桜が何本か咲いていました。少し葉桜になっています。違う種類のさくらでしょうか。江戸時代には400種類あった桜も、最近はソメイヨシノばかりが植えられるので、絶滅していっているのだとか。いろんな時期にいろんな桜が見られる方が楽しいですよね。

在りし日の津山城の姿。すごく立派なお城ですね。明治初期に壊されてしまったのだとか。残念ですが、お城は軍事施設なので、できたばかりの明治政府は弱くて、反乱の拠点にならないよう、各地のお城を壊してしまったんでしょうね

石垣は見事ですが、それだけでは寂しいと、近年備中櫓が伝統工法で再建されました。天守閣の代わりにシンボルとなっています。

本丸はとても広く、三方に天守閣をはじめ、石垣で砦が築かれています。本丸まで攻め込まれても、三方の砦で敵を包囲して牽制しながら、援軍を待つことができそうです。本丸がここまで堅固なお城はあまり見たことがないですね。美作の国18万石の割には立派なお城で、石垣もかなり見事な用心深いつくりなので、地侍の反乱などが予想される難しい土地柄だったのでしょうか。

津山城を築いた森忠正は、織田信長の小姓(側近)として本能寺の変で討ち死にした森欄丸の弟で優秀な大名だったのでしょう。津山の前は、信州川中島を徳川家康に与えられるなど、古くからの地侍が結束していて新参大名が治めにくい難しい領地ばかり与えられています。後の代に、津山城主は将軍家の親藩の松平家に替わっているので、幕府も山陽、山陰を抑える要衝として重視していた様子がうかがえます。

本丸にも見事な桜が咲いていました。葉桜なので、ヤマザクラの系統でしょうか。

桜の花も見事です。

天守台からは、周囲の景色が一望できます。北に見える山の向こうは伯耆の国、鳥取県と日本海です。

帰りは、お城の裏側から下りてみます。より狭く入り組んでいて、なかなか攻めるのが難しそうです。上がりにくいように、とても大きな段差の石段があるので、木の補助階段が組まれていました。

小さな水の流れに桜の花びらがあってきれいでした。

ところどころに菜の花も咲いています。すっかり春の感じです。

全体の見取り図をご覧ください。ほとんどが桜の木で埋まっています。明治から昭和にかけて津山市の議員を務めた福井純一という方が、「城跡を桜で埋めるなんて、阿呆の沙汰じゃ」と言われながら、城跡の公園化を進めたそうです。先見の明があったんですね。

当日は、中国人の団体の方も来ていました。どこでも国際化が進んでいます。

津山市は、伝統的建造物保存地区に指定された町並みもあるし、古い洋館もある、落ち着いた城下町です。聚楽園という大名庭園もあります。久しぶりに訪れてみると、なかなか味わい深い街なので、ゆっくり訪れてみることをおすすめします。